ふとしたことから、このサイトを開設することになりました。我々選考メンバーの5人はそれぞれが伝統産業、美術工芸、茶の湯などをなりわいとして京都の街にお世話になっております。皆それぞれが少々食道楽、遊び好きで(不良でしょうか?)たいしたお金も持ってないくせに、フラフラと徘徊したり適当に食を楽しんだりしております。もっとも近年は不況のため、全員、慎ましやか目ではございますが・・・ とある秋の日、(1999年)誰が言い出したか「今度、久しぶりに嵐山で屋形船を出しまへんか・・・」と言い出しました。夏季には嵐山の各有名料亭はその趣向も致しておられますが、なにせ秋の事。「どこぞの料亭さんがそんなことしたはりますの?・・・」 「いや。しりまへん。」 キッパリ。 「へ~、ほならどうしはるおつもりで?」 「いや、実は私の懇意のふぐ料理の板場はんが、いっぺん嵐山の屋形船で料理したいてゆうたはりましてな。下関のお方ですねんけど・・・」 「!下関からわざわざ来てくれはりますのん?」 「そうですのやわ」 「こら、おもしろそうでんな・・・」 「本場のふぐを自分で運んで、一式、出張料理させてもらうてゆうてくれたはりますさかい、まかせまひょか?」 「ほんで何人さん、呼んだらよろしいので?」 「20人乗りの船を借りて、ゆっくり10人さん位でどうですやろ」ということで・・・ てな訳で、久しぶりに強烈な遊びをすることになり(出費はご想像におまかせします) 日頃お世話になっている方々にもお声がけし、折角だからと、お招きした方々に一服をしていただこうと「茶箱」を持参し、屋形船の中で「野点風の茶」を楽しんだりし、贅沢な一日を過ごしておりましたところ、とある方が、「京都の料理屋はんも、近年インターネットでいろんなお店が出てますな・・・見たはる方々も迷うてはりますやろ。あんたらみたいにようしったはるお人らが、ちょっと教えたげはったらどないどす。」 - 観光関連に携わられるお方よりの一言・・・ー 「へ~、そうどすか。私らそっちの方はあんまりよう知りまへんさかい・・・」 "困ったこと、言い出さはったな・・・今日、この人呼ばんかったら良かった"との胸の内。「いやいや、あんなもん、すぐ出来まっせ」 ”ほんまかいな?ウソつけ!このオヤジ" 「ほんで、なにを教えたげたらよろしおすねん?」 「そうですな~、あんたらがお薦めの料理屋はんとか・・・折角、京都に来てくれはる観光のお人に、良かったな~っておもてもらえるようなお店とか・・・」 「けど、皆さん個々にお好みがありますやろし、また雑誌やなんやらぎょうさんありますやろ、その手のもんは。」 「そら、いっぱいおますけどな、またそれとは違う素人はんの情報ですがな。」 「う~ん、お店もそれぞれにありますし、皆それなりにしてはるし、私らが気に入ってるからゆうて、皆さんが同じように気にいらはるとは限りまへんで。」 「それはそうどす。そんでよろしいねん。情報ちゅうもんは・・・色々あるのが情報ですさかい、そこは見はる方々が判断しはりますさかい。心配せんでも、あんたらが情報を出したからゆうて、皆さんがそれだけを気にしはるもんではおへん。」 "好き放題ゆうてはる・・・" 「ほな、なんでわざわざ頑張らなあきまへんの?」 「いやいや、そこがそれですがな。あんたら粋人さんらの情報ちゅうもんは貴重でっせ。そんなん見たことおへんさかい・・・おもしろおっせ、ハハハ・・・」 "酒の肴にしてはるわ。この人。酔うてんのとちゃうか・・・" などと痴話とも、おだてとも言い様のない話が続き、半分丸め込まれるような気も致しましたが、私たちもそれぞれが京都の街にお世話になる仕事をなりわいとしておりますので、京都のお役にたてるならばと、ボランティアもこれと言ってしているわけではありませんし、ひとつ位はなにかしないとバチが当る!とのことでこのサイトが出来ました。
PCの専門知識もなにもない私たちのことですので、当初は随分と知り合いの方にお世話になりました。PCを使える方に構成を作っていただいたり、懇意の料理屋のご主人でPCを使える方に写真画像を頂いたり、あげくの果てには転送の仕方やホームページがどういう物かも解らないので、ホームページ領域まで貸して頂いてそこからアップして頂いたり、今から思うととんでもないご迷惑をおかけしました。今でももちろん未熟ですので、ご覧頂く方々には申し訳ございませんが、どうかお許しを願います。 このようにして出来ましたサイトですが、少しでも皆様のお役に立てればと思っております。私たちの一意見としてご参考にして頂ければ幸いに存じます。 |