IdleTalkNo.3

雑談のコーナー

料理や、その他の項目での雑談のコーナーです。
ご参考になることもあるかと思いますので、ご興味、お時間のおありの方は
どうぞ、ご覧下さいませ。不定期ですが時折、内容を追加いたしております。

◆ 京料理の定義とは・・・
 前回の雑談から時間が経ってしまい申し訳ございません。長らくお待たせ致しましたが今回の雑談を始めさせて頂きます。
・・・今回はマジメにやります?・・・
さて、世によく、「京料理」と申しますがはてさて「京料理」とはどういう定義なのか?という疑問をおもちの方も多いのでは?そこで私たちが様々の料理屋のご主人や文化人、その他参考資料より入手しました色々な事柄やお話しをどうにかまとめて(?)お伝えしたいと思います。
まず京料理といえば「薄味・華やか・綺麗」というイメージをおもちではないでしょうか?まずは華やか・綺麗から・・・ではそのイメージはどのように出来上がったのか・・・これは歴史をさかのぼることになります。京都は平安京より1200年の歴史を誇る古都。よってそのルーツも深い・・・今でも首都の東京に人々が集うように,当時の京の都も当然様々の人々が集いました。また昔のことですから都に集うと言えば当時の下々の方々には滅多と無理で、必然的に秀でた方々が集うわけです。そうなりますと当時の有力者や権力者も集います。この方々をもてなしするわけになりますからそこには当然ながら洗練されたものが必要になってきます。地方の豪族方に田舎臭いもてなしをするわけには参りません。さすが都!と思わせるもてなしをしなければなりません。そこで都であるがゆえに集まる美術品や洗練された様式をすべてに持ちこむわけです。美しい器に料理を盛る、垢抜けていかにも都らしいしつらえの部屋を作る、またそれに似合う花を活ける、お食事のお世話をする人にもゴージャスな着物を着せる・・・などなど。当たり前のことですが料理に限らず、すべてにおいての洗練がなされてゆくわけです。無論しつらえだけではなく、料理そのものにも創意工夫がなされます。ご存知の通り京都市内は海からは遠いので、当時は海の幸も限られております。そこで当時の料理人たちは美味しい野菜を上手に使う、また川魚を海の魚に負けないように上手に料理する。そしてそこに都の洗練された様式を持ちこむ。・・・随分と苦労していたのではと想像できます。こんなことを1200年もやっていればおのずと洗練されたものが出来あがりますよね。
また料理そのもののルーツはといえばこれも昔の話。現代にいう懐石料理のルーツは茶懐石と言われております。皆様もご存知の通り日本料理にも色々なカテゴリーがあるわけで、精進料理・懐石料理・会席料理・割烹料理・有職(ゆうそく)料理・茶懐石・本膳料理などと・・・
昔にさかのぼること鎌倉時代。このころに禅宗の影響で精進料理なるものが出てきた。ご存知のとおり一切の動物を素材にしない植物のみで料理するあの料理です。そしてその後、足利時代に南洋から(どうやら今のフィリピン辺りのようです)料理が伝わりこれを南蛮料理と称しました。今でも「南蛮漬け」とか南蛮なんとかという料理が色々ありますよね。あれのルーツのようです。その他にも海外から伝わった料理やこれらをとりいれて茶懐石が生まれた。そして当時の一般の人々が食べるお惣菜料理、これらがその後の時代に混ざり合う時期が出て参ります。ここからが現代に伝わる京料理の始まりのようです。ですがここからがまた複雑でこれより色々な枝葉が形成されてゆきます。かたや茶の湯の席に集う時の料理、茶懐石に。江戸時代には大名たちがもてなしの席に出す豪華料理の本膳料理(これが会席のルーツのようです)にと・・・また新鮮な魚介類が入手できるようになってからの時代には割烹料理にと様々に・・・
というわけで一口に京料理と言ってもさかのぼれば様々なルーツがあるわけで、いまでもそのルーツは老舗に継承されており、それぞれに系統があるわけです。ですからひとつだけのルーツをたどり、そのひとつがすなわち京料理というわけではないようです。京料理にも歴史的なカテゴリーが存在するわけです。
どのようなものでもある程度の幅があるのは当然かと・・・

次に薄味。なぜ他府県に比較して薄味になったのでしょうか?
これも難解なお話しで諸説がございますがひとつには、昔の京都には海の幸がほとんどない。当然ながら野菜料理が中心となります。今でも京都のお惣菜には焚いた野菜料理が多いのですがこれは昔からのことで、昔は大家族ですから一度にたくさんの野菜を焚きました。経済的なこともあり、あえて一度にたくさん焚く。すると残る。これをあくる日もまた暖めて食べる。そうすると段々と味が濃くなってくるので始めは薄味にした。という説です。当時は貴族・公家たちもそうした形で食事をしていたそうです。
ですがこの説には疑問も残ります。では何故、始めの薄味が伝承され、あとの方の味が濃くなった方が主流にならなかったのか?また野菜中心の料理は京都だけではありません。全国的に山間部の地域では歴史的に野菜・山菜中心の料理が多い。ですがこれらの地域では塩分の強い料理や、保存も可能なかなり濃い目の味の料理が多い。薄味は京都だけです。ここが不自然。
そこでもう一つの説ですが、京の都に当時集った方々は先の通り特権階級の方が中心。かたやもてなす側も貴族や公家が中心。いわゆる肉体労働をしない人々。人は額に汗して働くと塩分が不足してくるのでそれをおぎなうものが必要になりますが、そうでなければそれほどでもない。つまり動かない人々用の味付けだからおのずと薄味になった、庶民もこの味を粋とし、これが主流になったと・・・双方ともナルホドというところはありますね。
そこでまとめあげた一説。先のような歴史的経過があり当初は薄味に仕上げていた料理を長い歴史の中で磨き上げてゆくと、やはり最終的には素材そのものがもつ本来の旨味の追求につながる。薄くもなく濃くもなく、最高の加減が生まれ出す。いつ食べても食べ飽きない加減の味。食後にもたれない味。いわゆる味の黄金値をめざした味。これの永年の追求によって京料理の味が生まれた。この味が他府県からは薄味に感じるから京料理は薄味と称される。と・・・

皆様いかがですか?・・・・・・・・
1200年の歴史が裏付けする文化と技法の料理。それが京料理のようです。
誠に手前味噌なまとまりで恐縮ですが、こんなところにまとまりました。

ですが歴史はこれからも続いてゆきますので、京料理もまたその姿をかえてゆくかもしれません。事実、最近の京料理は私たちが幼いころ、また若かりしころに比較して味がやや濃くなってきているように感じます。これは現代に濃い目の味の外国料理が氾濫し、人々の舌がそれにならされてきているためかもしれません。また見栄えを気にするあまり過剰演出の料理も増えております。本来の京都の美とは「はんなり・しんなり」という言葉に代表される通り誠に奥深い、完成度の非常に高い美です。それを理解されていない料理人の方々が増えているのも事実です。やたらにデコレートしたから美しいというものではありません。
このサイト掲載の京料理店ではそれらの点も考慮して店を厳選しておりますが・・・
と、ついに年より臭くブツクサぼやいてしまいましたが、どうぞお許しを!

最後にまとめて、今まで長々とご説明しました通り京料理とはその長い歴史の中で磨き上げられた優秀な料理だと私たち京都人は自負いたしております。
皆様のご意見も諸説おありかとは存じますが、それはさておいて、肩をはらずに京料理をお楽しみ頂ければ私たちも幸いに存じますので、どうぞ「京都」をお楽しみにお越し下さいませ。

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