IdleTalkNo.6

雑談のコーナー

料理や、その他の項目での雑談のコーナーです。
ご参考になることもあるかと思いますので、ご興味、お時間のおありの方は
どうぞ、ご覧下さいませ。不定期ですが時折、内容を追加いたしております。

◆ 鱧料理のうんちく・・・
 今回は京都の夏の代表料理、「鱧料理」についてのお話をしたいと思います。
我々、京都人にとっては誠に馴染みの深い魚ですが、他府県の方々には馴染みの非常に薄い魚かと思います。ゆえに近年、様々な誤解が生まれているようで、私たちには悲しいようなお話を時折、耳にします。 他府県の方とお話をしていますと「鱧はおいしくないですよね。どうして京都の方はあんな魚をたべるのですか・・・」というようなとんでもないお話・・・
はっきり申し上げて、誰もまずい物を好んでたべません!美味しいから珍重するのです。そこでそのような事をおっしゃる方にお聞きします。なぜ、鱧はまずいとおっしゃるのかと・・・当然ながら、そのようなご意見の方は「食べた事はあるけど、まずかった」とのご意見。
はたしてどのような鱧を食されたのかは存じませんが、まずいと感じられたのであれば、当然まずいものを召し上がられたのでしょう。そこで、「どちらで鱧を召し上がられましたか?」とお尋ねしますと、大抵は京都ではない処でお召し上がりの経験がおありのようです。また、京都に知人がいて、その方から鱧は別に美味しくない、骨だらけですごく食べにくい魚なんだと聞いたとのご意見も・・・
このような誤解は我々、京都人には誠に悲しいお話で、また地元人さえも鱧を否定する人がいるとなれば、これは由々しき事ですので、精一杯の情報をかき集めて、今回の雑談を致します。

まず、何故、京都で鱧料理が生まれたかと・・・
このことは他府県の方々には疑問を持たれる方も多いと聞きます。そこでご説明しますと、京都の街、いわゆる「京都市」はご存知の通り海から遠方の立地となります。「御所」を中心とした街の構成は大昔と同じです。当然ながら現代のように自動車や電車もなく、流通には人力を用いていた時代には海からの海産物の輸送に時間がかかります。特に夏季ともなれば食材の腐敗も早く、海から遠い京の都では海の幸は非常に貴重な物です。当時、京の町へ海産物を運んでいた人々は「かつぎ屋」と呼ばれる人々で、若狭の海、瀬戸内の海から獲れる魚介類を人力で運んでいました。背中にかつげる箱に海水を入れて生きた魚を運ぶ事や、また一塩の干物を籠で運ぶなどの運送法です。京都では若狭の「ぐじ」や「鯖」「カレイ」などは有名な食材ですが、これらは浜で塩をしたり、干物にしたりして保存が可能にした物を運んでいました。一方、鱧は海水を入れた箱に生きたままで運ぶという形でした。現代の生簀運搬とは異なり、酸素供給も水温管理もない状態で、ましてや鱧の旬の夏季は温度が高いので海水温度も上がり、通常はこのような形での運搬では魚が死んでしまいます。ところが生命力の強い鱧はこのような過酷な条件下でも生きていたのです。何故かと言えば、鱧はウナギと同じような長い体系で、また同じくウロコをもたない魚で、体表はウナギと同じくヌルヌルしたヌメリで覆われています。ウロコを持たない魚はこのヌメリがウロコの変わりの役目をして魚体を守るのですが、ウロコを持つ肴と異なり、このヌメリを通して皮膚呼吸ができるらしいのです。ウナギも水から揚げてもなかなか死にませんが、その理由のようで、鱧も同じということです。よって過酷な条件下でも生きていました。そこで夏季の海の鮮魚として鱧が京都で珍重されるようになりました。

ですが鱧は全身に無数の小骨がある魚で、魚肉は美味なのですが、この無数の骨のために通常の扱いでは生食はおろか、煮ても焼いても食べられません。よって他に海の幸が豊富な地域では食べる習慣が生まれなかったのではと思います。ですが京都ではとても貴重な海の幸。そこで生まれたのが「骨切り」という特殊な技術です。これは鱧を腹開きにしてから、まな板に皮目を下にして鱧の魚体を横向けに置いて、皮一枚を残して鱧の全身の骨を頭の方から細かく千切りのように切っていくという技法です。皮一枚を残しますので当然に包丁は空中に浮いたままとなります。通常の千切りのようにすれば鱧は細切れになってしまいます。これでは鱧料理はできません。皮のみがつながったままという特殊な形状です。また鱧の小骨はその魚体の皮肌に近い所に存在するらしく、本当に皮一枚のみ残すところまで切らなければ骨が残ってしまうそうです。またやっかいなことに鱧の骨はかなり硬く、軟弱な切り方では切れないといいます。素早い包丁の正確な動作が必要になります。また当然ですがこの「骨切り」が細かくなければ骨だらけで食べられた物ではなくなります。要約しますと「硬い骨を持つ魚をその皮肌一枚のみを残して、包丁を空中に浮かしたままで、とても細かく勢いよく切る」というまさに困難な技術です。この技術が不完全であれば骨だらけでジャリジャリしたまずい魚となってしまいます。「骨だらけでまずい魚」との印象をお持ちの方はこのような鱧を召し上がられたのではと思います。 またそのようなレベルの料理人が扱う鱧ですから決して上物ではないでしょう。

京都の和食の料理人の方々はこの技術を会得するべく修行をされますが、一応に習得するのに7~8年はかかると聞きます。さらなる完成度を求めればさらに長い年月が必要らしいのです。我々の経験では京都のすべての鱧料理が美味という訳ではありません。「この程度ならば許せる範囲か」という物が多いのも事実です。それにはこのような特殊技術をいかに習得されておられるか、その料理人の腕によるところ、また上物の鱧は年々希少になっているのも確かだからだと思います。
我々がお逢いする東京近郊におられる方々からお話を伺いますと、近年は東京近郊でも鱧を出す料理店が増えているとお聞きします。ですが残念なことにそれらのほとんどは美味ではないそうです。珍しさのみで鱧を用い、その付加価値のみで料理代が高価になっている。ともお聞きします。このような鱧を召し上がられた方々も鱧を美味しいとは思われないでしょう。
先に記述致しましたように鱧料理は長い年月の修業を必要とします。見よう見まねでは絶対に美味にならない食材です。また当然ですが食材の優劣が大きく左右します。皆様も高価な牛肉と安価なそれとでは全く味が異なることはご存知かと思います。食材全般に、また魚もすべて同じです。当然ながら良い食材は高価になり数も少なくなります。京都では夏季になりますと街の魚屋でも鱧が良く売られます。ご家庭での調理は困難極まるものですので、他の魚の刺身が売られるのと同様に調理済みの「はもおとし」や「焼はも」の形で店先に並びます。「はもおとし」は鱧を湯引きした最も代表的な鱧料理のひとつです。ですがこれらも残念ながら美味とは思えません。大抵は魚屋の主人などが鱧を調理しておられる訳ですが、手腕のある料理人とは技術があまりに違うからです。またご家庭で購入される価格帯の食材ですから、一流の料理店が扱う鱧とはおのずと変わります。これは鱧に限らずですが天然の高級鮮魚は年々と漁獲高が低下する一方ですので、価格は上昇を続けています。昔は安価であったサバやイワシでも国産の天然物は高価になっているのは皆様もご存知でしょう。高級魚ではなおさらです。
ちなみにスーパーマーケット等でも「はもおとし」が並びますが、もはやこれは論外です。このような鱧を召し上がられた方はこの先一生、鱧を食す気にならないでしょう。本当に鱧なのか?との疑問を持たざるを得ないレベルの酷いものも存在します。営業妨害をするつもりはありませんが、食べ物にはある一定のところで下限があると思うのです。それをはるかに下回る物を販売するのは社会的責任において疑問を感じざるを得ません。

今までに申し上げました通り、確かに京都では夏季に鱧を良く食しますが、本当に美味な鱧料理はかなり限られます。居酒屋さんなどの鱧も価格からもそのレベルのものですし技術的にも居酒屋レベルです。京都人でも一流の料理店の鱧を食べておられない方は本当の鱧の味を知らないとも言って過言でないと思います。鱧もピンからキリまであります。このサイトをご覧の方々には機会がありましたら本物の味をお知り頂き、我々京都人が愛する鱧の味をご理解頂ければと、また誤解をお持ちの方々にはその誤解を払拭頂ければと願います。当サイトでは夏季の情報として鱧料理の項目で特集を掲載致しております。我々の個人的な意見ですので決して絶対ではございませんが、ご参考の一つになればと存じております。本物の鱧はとても美味です。我々は夏季になると食べたくてうずうずします。決して安価ではありませんが皆様にも本物をお召し上がり頂きたいと思います。
よろしければ一度お試しあれ!ただし本物を!では今回の雑談はこのくらいで。
では、次回をお楽しみに・・・

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